例えば外を歩いていた時にふと雰囲気のいい喫茶店を見つけたとします。
ちょっと休憩がてらその喫茶店に入ってメニューを見たら、すごく自分好みのスイーツが目に留まりました。
しかも本日限定で残り3つ。
でもすっごく気になるし食べたいな…限定で残り少ないし。。
と悩んだご経験ってないですか?
食べものに限らず、禁煙時だったり、買い物だったりで似たような場面は少なからずあったりします。
認知的不協和
こうした、
スイーツ好きだし、気になるし、限定だし、数少ないし…
食べたい!
という考えと
今ダイエット中だから糖質の高いものは食べるの止めておこう
といった相反する考えや矛盾する思考が頭の中で生じることを「認知的不協和」と呼びます。
認知的不協和とは?
認知的不協和は、1957年にアメリカの社会心理学者レオン・フェスティンガー博士の著書
(原題:A Theory of Cognitive Dissonance)
として提唱されたもので、
人が自身の中で矛盾する認知を同時に抱えた状態、また、そのときに覚える不快感
のことを指します。
先程のスイーツの例では、
スイーツ食べたい
という感情と、
ダイエット中だから我慢しなきゃ…
という2つの相反する感情が自分の中で入り混じった状態が認知的不協和にあたります。
人が認知的不協和を感じた時にとる行動2パターン
このような認知的不協和を感じた際に人は、
- 新しい認知を否定し、
古い認知を肯定する - 新しい認知を肯定し、
古い認知を否定する
どちらかを選択し、矛盾したスッキリしない感情から抜け出そうとします。
上記のケーキの例でいえば、
(≒新しい認知を否定)
それより今回こそダイエットちゃんとやらなきゃ!
(≒古い認知を肯定)
か、
(≒新しい認知を肯定)
ダイエットは明日からまた始めればいいし…
(≒古い認知を否定)
といったような感じで自分の気持ちを整理して矛盾したスッキリしない感情から抜け出そうとする傾向があるということです。
これは、どちらが良くてどちらが悪いというものでは決してなく、どちらも矛盾を解消し自分自身の心を守るための大切な考え方です。
認知的不協和の解消法
また、認知的不協和を感じる時は、自分の行動が選択できるときだけではありません。
などなど、自分以外に関する事柄でも認知的不協和は感じますし、事実や行動が変えられないときの方がむしろ多いかもしれません。
そんな時、一般的に人は次の2つの思考法で認知的不協和を解消する傾向が高くなるそうです。
認知的不協和の解消法:
「すっぱい葡萄」思考
極端に言えば「アイツが悪い」的考えです。
これは、イソップ寓話『すっぱい葡萄』に由来しており、
イソップ寓話の一節キツネが木に実ったおいしそうな葡萄を食べようとしましたが、葡萄は高いところにあってキツネがどんなに必死で飛び上がっても届かず、結局食べられませんでした。
そこでキツネは、
と捨てゼリフ吐いて立ち去っていきました。
といった内容があり、このキツネのセリフと行動が正に認知的不協和を解消するひとつの行動パターンとなっています。
- 新しい認知を否定し、古い認知を肯定する
ことにも似ていますが、
- 今までの自分を正当化し、新しい事柄の重要性を低くする
パターンです。
という矛盾を、
あの葡萄は酸っぱいに違いない
と考えることで、食べたいという感情の重要度を低くして食べられなかったことを正当化する解消方法です。
例えば、テストの点数が悪かった時に、
と考えるのも、認知的不協和をすっぱい葡萄の理論を使って解消していた一例といえます。
認知的不協和の解消法
:「甘いレモン」思考
極端に言えば「私は正しい」的考えです。
これも、同じくイソップ寓話『すっぱい葡萄』に由来しており、先ほどの続きのストーリーで、
イソップ寓話の一節結局葡萄が食べられなかったキツネは、帰り道で崖の下に落ちていたオレンジを見つけました。
何とか苦労して崖を下りてオレンジを拾って食べてみたら、それはオレンジではなくレモンでした。
けれどキツネは、
と言いながらレモンを全部食べました。
といった内容で、これは
という矛盾を、
- 手に入らなかった葡萄よりも、手に入れたレモンの方が良かった
と、考えることで納得しようとしています。これは
- 新しい認知を肯定し、古い認知を否定する
ことにも似ていますが、
- 新しい事柄を受け入れるために正当化する要素を付け加える
パターンです。
レモンは実際には酸っぱいですが、
取れなかった葡萄より、食べているこのレモンの方が甘い
と理由付けることで自分自身の行動を正当化する解消法です。
同じくテストの例で言えば、
といったような考えになるのが、認知的不協和を甘いレモンの理論を使って解消していた一例といえます。
正当化されしがちな認知的不協和的行動
人は認知的不協和を感じた際に、
- 新しい認知を肯定し、古い認知を否定する
- 新しい認知を否定し、古い認知を肯定する
どちらかを選択する
と前述しましたが、ではどちらを選択する場合が多いのか?
先に挙げた社会心理学者レオン・フェスティンガー博士は
[prpsay img=”https://shinritech.com/wp-content/uploads/2018/06/hakas.png”]- 新しい認知を肯定し、古い認知を否定する
- そのために正当化する要素を付け加える
ケースが多いと指摘しています。
イソップ寓話の例でいうと、
という新しい認知を否定し、古い認知を肯定するような「酸っぱい葡萄」思考よりも、
という新しい認知を肯定し、古い認知を否定するような「甘いレモン」思考の方を選ぶ傾向が高いそうです。
それはなぜか?
フェスティンガー博士は、
[prpsay img=”https://shinritech.com/wp-content/uploads/2018/06/hakas.png”]自分の選択や認知的不協和によって取った行動と合致するよう徐々に思考が修正されていく
[/prpsay]傾向が人にはあることを指摘しています。
というのも、またイソップ寓話の例になりますが、
あの葡萄は酸っぱい
と思って食べなかったことよりも、
さっきの葡萄よりも、こっちのレモンの方が甘いさ
と思う傾向が強いのは、
[safe title=”正当化する要素”]崖下に甘いみかんだと思って拾いに行った
[/safe]という行動が正当化する要素となり、その行動自体を否定しないためにも、仮に拾ったものがみかんでなくレモンで、しかも酸っぱいにもかかわらず、
このレモンはさっきの葡萄よりも甘いはず…!
というように「行動と合致する方向に徐々に修正されていく」ためだということです。
行動が正当化される例
フェスティンガー博士が
[prpsay img=”https://shinritech.com/wp-content/uploads/2018/06/hakas.png”]自分の選択や認知的不協和によって取った行動と合致するよう徐々に思考が修正されていく
[/prpsay]と指摘しているのは、イソップ寓話の例だけではありません。
検証…ではありませんが、博士の実体験も元になっています。
博士の実体験博士や同僚が別の目的でとあるカルト的集団に潜入していた時のことでした。
その集団は、宇宙人と接触したことがあるという女性を頂点としてメンバーはその女性を崇拝しており、その女性がある時、
という内容を集団メンバーに話したそうです。
以前から超常的な事象だったり予言を目の当たりにしていたメンバーは、その女性のことを信じ切っており、新たなお告げも疑うことなく信じ、
- ある人は仕事を辞め、
- ある人は家族を捨て、
- 自身の全財産を集団に寄付する人もいた
といいます。
が、実際にはお告げ通りにはならず、大洪水は世界中どこにも起こらないばかりか、その日の夜には流れ星が見れるほどの澄んだ空模様だったそうです。
しかし、予言が外れたにもかかわらず、メンバーの多くはその後も集団に留まったままで、むしろ以前よりも熱心な信奉者になったそうです。
それはなぜか?
博士はこのメンバーたちの行動に注目しました。
信奉する女性に騙されたにもかかわらず、なぜ多くのメンバーたちは女性の元を去らず集団に留まり続けたのか?
なぜ前にも増してより熱心に信奉するようになったのか?
そこには、認知的不協和がもたらす自己正当化があったと博士は指摘しています。
お告げがあった日に洪水が起こらなかったことで、メンバーには「信じてたけど騙された」という決定的な認知的不協和が生じたと思われます。
その際に、
- 騙されたことを認めるか
(≒新しい認知を肯定し、古い認知を否定する) - 信奉し続けるための説明や理由付けを見つけるか
(≒新しい認知を否定し、古い認知を肯定する)
のいずれかによって自身に生じた認知的不協和を解決する手段を選択出来る状態にありました。
が、騙されたことを認め集団を去る選択をした人も少なからずいたものの、多くのメンバーは集団に留まり女性を信奉し続けた。
そこには、
- 仕事を辞めた
- 家族を捨てた
- 全財産を寄付した
など、その人自身の行動が無関係ではないことを博士は指摘しています。
結局は、
とあるメンバーが発した言葉で落ち着いたそうですが、博士は
[prpsay img=”https://shinritech.com/wp-content/uploads/2018/06/hakas.png”]その言葉で自身を納得させ、それまでに取ってきた行動を正当化させようとする人が多かった
[/prpsay]と分析しています。
この集団の例で言えば、集団に捧げた度合いが大きかった人の方が、以前にも増してより熱心に信奉するようになったそうです。
このことから、
[prpsay img=”https://shinritech.com/wp-content/uploads/2018/06/hakas.png”]お金、時間、努力などといった自己犠牲の度合いが大きいほど、新しい認知を否定し古い認知を肯定する傾向がある
[/prpsay]と博士は付け加えています。
人は認知的不協和に敏感に反応する
人は認知的不協和を感じると、その不快感を消すためにいつもより過敏になると言われています。
ちょっと飛躍した考えではありますが、これはある種の”ギャップ”を感じる場合にも似ています。
一般的な価値観だったり自分が持っている観念的なものと実際の物ごとが違ったりすると、
…ん?
って感じたりしますが、このような感覚も一種の認知的不協和に近いものがあります。
などなど、本のタイトルや広告文などでよく見受けられますが、その内容が良いものか悪いものかは別として、こういった文言を聞くと一般的な価値観や観念的なものとの矛盾を感じやすくなります。
感じた矛盾は認知的不協和になり、認知的不協和によって生じた不快感を自分の中で解消しようとして、ついその内容を確かめたくなる傾向があります。
フェスティンガー博士が体験したとある集団の例にもありましが、万が一ギャップを巧みに使った文言に乗り何か行動を起こた場合、その時点で自己犠牲が発生していることになります。
その結果が良いものであれば、
ナイスチェイス!
[icon name=”thumbs-up” class=”” unprefixed_class=””]
となりますが、仮に間違いであったり不要のものだと感じた場合、自分の選択や行動を正当化する傾向があることだけは念頭に置いておいた方が、それ以上深みにハマらないで済むポイントなのかもしれません。